今月のライフハック絵本批評『ロージーのおさんぽ』
偕成社『ロージーのおさんぽ』 パット=ハッチンス さく わたなべしげお やく
【木鶏】(もっけい)《「ぼっけい」とも》
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1 木製のにわとり。
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2 (1から転じて)少しも動じない最強の闘鶏。また、強さを秘め、敵に対してまったく動じないことのたとえ。
この絵本について語る点はいくつかある。
まず表紙を見てわかるように、黄色い。本を開くともっと黄色い。作者のハッチンスはイギリスの田園地方ヨークシャー生まれである。のどかな農場がこの絵本の舞台なのだが、生まれ育ったヨークシャーがハッチンスの目にどのように映っていたかがこの”黄色”からうかがえる。
第二次大戦後イギリスは農業改革政策により穀物を生産の中心においた大農場が増えて中小経営の農場が淘汰されていった結果、少数の経営が酪農・養鶏・農林生産と第一次産業の大部分を担い、生産と収穫の効率化が進んだ。この絵本はそんな時代の波にあるイギリスで1968年に刊行された、ハッチンス26歳の処女作品である。
めんどりのロージーが暮らすのはこぢんまりとした中小農場。場面毎に変わる風景から見て取れるが、その規模は小さくとも肥沃だ。基調とする”黄色”は経済とはある部分で切り離された自然の豊かさをイメージさせる。徐々に小さな農場が消えていく中、ハッチンスは育った地での牧歌的な思い出をこの絵本に残したのかもしれない。
さて、緊張と緩和を交互に描く飽きさせない展開、若いキツネのユーモラスな動きと魅力的な表情、ロージーとキツネを遠巻きに見る動物たち、絵を読ませる文章(お見事!)など言いたいことは尽きないが、ぼくが特筆したいのは、そう、ロージーである。
キツネは何度もロージーに飛びかかるのだが、力不足と不運が重なり泣きっ面に蜂、結局ひどい目に遭って逃げてしまう。肝心のロージーはといえばそんなことには気付きもせず、表情一つ変えぬまま夕食前のおさんぽを済ませるのであった。志村ーうしろうしろー。
ロージーの目はなにも見ていないようだ。視線は全場面変わらず前方やや上にあり黙々と足を運んでいる。ぼくはこのロージーと同じように散歩している町のおじいちゃんおばあちゃんたちを知っている。ここでぼくは大変な事実に気が付いてしまった。つまりロージー(ROSIE)=老人(ROJIN)というダブルミーニングネームになっているのだ!ナンダッテー!
その証拠に、自分のすぐ後ろでキツネは水に落ちたり盛大にやらかしたりしているのだが、ロージーは振り向きもしない。耳が致命的に遠いのだ。そして夕食前のさんぽ。これはもう健康が目的で始めたさんぽが毎日の暮らしに癒着して習慣づき、結果目的を忘れてしまったが時計のアラームと同時にさんぽに出かけるご老人の姿と完全に一致する。ロージーは長生きするタイプなのだ。
もう一度ロージーの表情に注目しよう。まぶたは重く垂れ下がり、終始この世の中に何一つ期待なんてしていないという目つきだ。くちばしは不敵にツンと上を向いている。何も読み取れない。これまでどれだけの修羅場をくぐればこんな顔ができるのか、想像するだけで冷や汗が吹き出る。
そしてもしも!
もしもだが、映画などでよくあるパターン「実はこの老人はボケたふりした切れ者でした」とかいうアレだったとしたら…一瞥もくれずにキツネの相手をしていたのなら…どちらにしろ、まさにロージーは百戦錬磨の「木鶏」なのだ。お年寄り特有の鈍さが強さになる場面はままある。
最盛期をとうに過ぎ、大戦で決定的に疲弊し衰退した大英帝国。その矜持がこのめんどりの身体を借りて豊穣の黄色の中を進んでいく。超大国の豊穣と衰退がアイロニカルに描かれているように見えてくる。
木鶏は死なずただ消え去るのみ。皆様ぜひ手にとってこのめんどりのさんぽを楽しんでほしい。
と、まあここまで荒唐無稽なことをタラタラと書き連ねた。真に受けないでいただきたい。ライフハック?ハックルベリーみたいな生き方のことでしょ?いかすぜハック!
なにが言いたいかというと、絵本は自由なのである。好きに読んで好きに感じて好きに語ろう。自分のお気に入りの本の批判は許さない!こんな崇高な社会思想の元で作られた本は素晴らしいに決まってて批判する人はどうかしている!逆も然り、この本を褒めるなんて見識が知れるわ!みたいななんとも気持ちの悪い空気が漂っているのだ。
ぼくは他の誰のでもない、ぼくの信念で本を読む。SNSモチベーションは低めに設定されているのでこんな錆びついたHPに書き連ねてみた。気が向けばまたお気に入りの本をこうして紹介する。
今月のライフハック絵本批評
偕成社『ロージーのおさんぽ』パット・ハッチンス さく わたなべしげお やく
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